「日干の強弱」についての話がようやく終わったので、続いて「格局論」に進みます。「格局」とは命式を分類する枠組みのようなものです。
「内格」と「外格」で何が変わってくるのか?
大きく分けると、一般的な普通の命式(内格)と「きわめて特殊な命式」(外格)の2種類があります。「ちまたの四柱推命」において最も混乱を極めているのがこの格局に関する議論でしょう。
そもそも、なぜ「2種類の格局」を分けるのでしょうか?内格と外格の違いは大きく2点あります。

1つ目は「用神の決め方」(格局の用い方)が違うという点です。もっと具体的にいうと「用神を決める時に、格局の分類に応じて用神を決めるかどうか」が違います。
普通命式はそれ以上の「細かい格局法」に分類する必要がありません。なぜなら「細かな格局」を定めることと「用神」を選定することが明確にリンクしないからです。
言いかえると、用神を定めるために、命式ごとの「細かな格局」をうんぬん議論する必要性が無いというのが内格の特徴です。普通命式は「単純に普通命式」だけのざっくりした大枠でよいのです。それ以上に、格局を細かく分類する必要がありません。
ちまたの四柱推命が使っている「八格法」(正官格やら正財格やら)を持ち出したところで、かえって混乱するか、当たらない「通変星・元命星占い」に逆戻りするだけです。
しかし、特殊な命式(外格)では、さらに「細かな格局」へと分類していくことによって、おのずと命式ごとの「用神」が正しく選定されます。細かな格局分類と用神選定がリンクしているのです。ゆえに、外格だけはさらに細かな格局分類を行います。分類するだけの意味があるからです。
2つ目の違いは、どのようなものを「用神」とみなすかという考え方・視点の違いです。
前回の「日干の強弱論」で書いたように、四柱推命では「身中=中庸・均衡」を理想(基準)としています。普通の命式(内格)では「中庸」(身中)に近づく方向性で「用神」の取り方を考えることがベースとなっています。
ところが、特殊命式(外格)に分類されるものは、こうした「身中」を尊ぶ用神選定を適用しません。「偏っていればいればいるほど良い」という例外の判断をします。
普通命式における「用神」の考え方 ~ 病薬・扶抑・調候
普通命式(内格)では、細かな格局には分類しませんが、その代わりに、どういう「季節」に属していて、どういう「干支の配列」になっていて、何が旺じているのか、「日干の強弱」はどうなのか?といった論点を「命式ごとに個別分析」します。「格局うんぬん」を詳細に論じなくても、この個別の分析がそのまま「用神の選定」へと直結します。
どんな命式にも「五行の偏りや大過」といった固有の歪みがあり、それが「悪神」として作用することで、日干が本来の役割を果たすことを妨害しています。人体の病気に譬えるならば、悪神は「病気の原因」となる要素です。

普通命式の用神の考え方は、この病気の要因(歪みの元凶)である「悪神の作用」を止めて、命式の歪みを「中和させる」ことで、命式全体を「正常な秩序」(=健全な姿)に回復できるかどうか?に主眼を置きます。いわば「病に対する特効薬」です。
ですから、内格における用神論とは一言で纏めるならば「病薬用神」だと言ってよいのかもしれません。命式の歪み・病因である「悪神を中和する働き」をするものを「最適の用神」と定めるのです。
一般的に「用神」にはいろんな種類があると言われます。
扶抑用神とは、身弱の日干を強める五行、身旺の日干を弱める五行、という視点で判断するものです。(身弱ならば比劫と印星、身旺ならば食傷・財・官殺が必要というざっくりした考え方です)
通関用神とは、対立し合う(剋関係)五行を仲介して接続生のスムーズな流れに変えるクッション役となる五行のことです。
調候用神とは、季節の暑い寒いに応じて、命式に必要な五行(水や火)を補おうという視点です。だいたいは夏に壬癸水、冬に丙丁火という視点で語られるものが多いでしょうか。

扶抑用神や調候用神といった大雑把な考え方だけでは正しい用神は定められないです。命式全体の季節・十干の性質・悪神の原因構造からも考えよう
私が思うに、内格における正しい用神の取り方は、この3つの視点(扶抑・通関・調候)のどれか1つだけで決められるわけではなく、これら3つの視点を内包しつつ「病薬」という視点から総合的に判断するべきものです。
3つの視点のどれか1つだけで用神を選定するとたいてい間違いを犯します。日干が「身旺」であっても「官殺」が用神になりえない命式もあれば、「身弱」だからと言って「印星」を用神にできない命式もあるのです。
というわけで、外格に比べて内格の命式のほうが「用神の選定」はずっと困難です。様々な視点を総合して「病薬用神」となるものが何であるか?を正確に定めないとならず、そのためには命式の個別分析力がモノを言います。
特殊命式(外格)の本質とは?
ちなみに、特殊命式(外格)とはどのような命式で、どのぐらいの割合で存在するのでしょうか?
「ちまたの四柱推命」で大きく誤解されていることですが、特殊命式(外格)とは単なる「極端な身旺」や「極端な身弱」の命式のことではありません。
「非常な身旺、非常な身弱」であるということはあくまでも「付随的な要素」であって、外格かどうかを決定するための「必要条件」ではないのです。

非常に極端すぎる身旺、非常に極端すぎる身弱の命式であったとしても「外格」に分類されない命式は多々あるのです。
外格の真の必要条件は「ただ1つの五行だけに純粋に偏固していること」です。
つまり「極端な身旺や身弱の命式」だったとしても「1つの五行」だけに純粋に偏っていない命式(=複数の五行を含んでいる命式)はけっこうあります。それらは「外格の必要条件」を満たしておらず、ものすごい身旺・身弱の「内格の命式」にすぎません。

こうした外格の成立条件を勘違いしているせいか「ちまたの四柱推命」では、極端な身旺・身弱であれば何でもかんでも「特殊格」に入れてしまいます。ちまたの本やサイトを見ると、外格の人は「10人に1人」「100人に1人」「1000人に1人」はいますと書いてあるものが多々あります。
しかし、実際のところその厳密な存在割合は人口全体の0.01%未満であろうと思われます。完全に成格している「真の外格」の人など10000人に1人もいないのが実態でしょう。

ですから、私たちが普通に生活している中で滅多にお会いすることはないでしょう。
「特殊格」はけっして「良い命式」ではありません
「ちまたの四柱推命」では、特殊格(外格)を「非常に良い命式」であるかのように語る傾向があります。なので、身旺すぎる人、身弱すぎる人はこぞって「私は外格なのよ」と思いたがる傾向があります。(そういう命式を調べてみても99.9%は普通命式です)

しかし、実際のところ「外格」は本当に「大変な命式」です。人生のどこかで必ず死ぬほどの波瀾万丈に巻き込まれる運勢がまず不可避な命式であって、とても「佳良な命式」であるとは言えません。
敗者復活のような位置づけでしかなく、本来はきわめて偏った悪い命式のはずなのに「純粋に1つの五行」に「結晶化」してキラキラして見える=「外格」として成立している間だけは天然記念物的に珍しく美しいのでチヤホヤしてもらえるのです。

格が成立している間だけは「綺麗に外形が整っているように見える」ものが「外格」の特徴です。実際に「うわべ」だけで生きているような人生を歩む人も多いです。
ところが「後天運」(大運)で「他の五行」がたくさん混じってくると「純粋な一行」=天然記念物級の「美しい結晶体」ではなくなってしまい急激に「破格」します。
「破格」しないで一生ずっと無事に通り過ぎられるような特殊格の命式はありません。早い人は10代や20代で「破格」します。そして破格したとたんに「非常に悪い偏った普通命式」(最悪の内格)にガタ落ちします。
それまで蝶よ花よと周囲にチヤホヤされて何不自由なく暮らしていた人が、転落して地獄を見るような生活に転じることが多いのです。だからこそ「外格」は恐ろしい命式なのです。
特殊格(外格)にはどのような種類があるか?
きわめて純粋に「1つの五行」に偏って結晶化した命式を分類すると、その五行と日干が一致するものは「非常な身旺」になります。これを「強旺格」といいます。

一方で、偏った五行と日干の五行が一致しない命式もあります。それらは「身弱の極致」なのですが、日干の働き(自分自身の五行)を捨てて、偏固して旺じている五行の勢いに身を任せて従います。これを「従格」といいます。
(どの通変の五行に偏っているのかによって「従児格」「従財格」「従殺格」の3つに細分します。それぞれ食傷・財星・官殺の五行だけが偏固した命式です)

この「強旺格」と「従格」が「特殊格の典型例」で、比較的よく見られ数的にも多いものです。
これ以外にも、理論上で存在しうる格として「化気格」などもありますが、まず見かけることはなく、いわば「幻の格局」です。
どの特殊格も「旺神」=最強の五行(純化して結晶化している一行)と同じか、相生関係になる五行が巡る間だけは「成格」していますが、
旺神との剋関係になる五行(=破神)が後天運で到来した途端に「破格」します。また、従格の場合は「日干」を助け強める五行が来ても「破格」となります。